努力が実って合格して欲しいと言われた感想

点数を正当に評価して欲しいと思ってました

私が合格した年ですけど、高校の時の友人に「努力が実って合格して欲しいな」と言われました。その時に私は「努力したから合格するのではなくて、合格点に達したから合格して欲しい」と言いました。実際に合否に問題になるのは何時間勉強したかとかではなく、点数ですから。

言語化できるくらいの具体的な理由が無い限りは点数足りてないのに合格していたり点数足りているのに合格していないのはやっぱりおかしいですよね。はっきりと説明できる理由なしに不合格になったら自分の存在が否定されているような感覚になりますよね?私は8浪目の時に開示結果が返ってきたときは「私には存在意義はあるの?合格レベルに達しているのに不合格なのは私に存在意義が無いからだよね?実力足りてないなら頑張ろうで済むけど、私の場合は足りてるからそういうことだよね?」と思いました。

また、実力が足りていない人が合格していたら「なんであの人が合格してるの?私の方が点数高いから私を合格にするべきだと思うけど」と誰もが思うでしょう。

私が思うに受かって欲しい人に対しては「努力したのだから受かってて欲しい」ではなくて「あれだけ努力して合格点取れるようになったのだから合格していて欲しい」と言うのが妥当だと思います。受験生を応援するというのは「分からない問題がまぐれ当たりすることを願うこと」でもないですし、ましてや「本来間違っているものが合っていると誤認されることを願うこと」ではありません。

やっぱり「面接で何とかなって欲しい」とかではなくてその人の実力が発揮されて正当に評価されて合格することを願うべきです。何らかの調整のために面接点を決めるとかではなくてきちんと実力で評価されて欲しいものです。「正しい事書いてたら点数を与えて合格点に達したらその時点で合格」が一番だと思います。「合格させたい人が居るからこの人の面接点下げよう」といった事は絶対にされて欲しくないです。

追記

面接0点の真相
私は2019年、山形大学医学部医学科を受験しましたが面接で0点をつけられ不合格になってしまいました。 その時の面接内容、そして成績開示をnoteにしましたので参考にしてみてください。 リンクはこちら

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