七浪目

前半

7浪目に突入した私ですが、深夜に勉強をやる習慣をやめたり、6浪目の2月より勉強時間を格段に減らしているのに理解力が上がったりしていることに違和感を感じていました。また、実際に受けた問題を再び解いた結果、たった一か月半前に出来なかったばかりの問題が軽く解けたり、今は名称がプライムステージに変更されましたが、プレステージ模試というものであっさりとB判定取れたりして「これは絶対におかしい」と確信しました。

プレステージ模試はZ会と河合塾で共同の模試で、問題の難易度が高く高偏差値層の受験生が受ける模試です。その模試で、本番で実際に取った点数よりも高い点数になることなんて普通に考えたらあり得ません。私が受けた医大の問題よりも難易度高い問題が出るわけなので。

ここからが山形大学に決めたきっかけです。ある日私はいつものように、札幌の大通りのブックオフに居ました。そこで偶然山形大学の赤本を発見しました。私にとっては初めて見る物でしたが、試しに買って過去問を解くことに決めました。国語があることは以前に調べていた知っていました。今までは国語があるということで避けていましたが、実際にやってみるとあくまでも感覚ですが、意外に点数が取れ、他の科目と合計しても600点中440くらいでセンター750で仮定してもその年は合格していたので山形大学を受けることに決めました。

 

後半(10月以降)

10月には駿台ベネッセ記述模試があります。その時に私が気付いたことがあります。それは、試験開始60分くらい経たないと本来の私の力を出せないことです。七浪目の四月に感じていた「解き直してみると本番で感じていたよりそんなに難しく感じなかった」はこのことが原因だったと認識しました。私が六浪の時に受けた医大は数学の試験時間が100分で私の本来の力が出せる時間が40分しかないわけです。数学の試験時間が120分の模試ではA判定やB判定が出ていても、私にとっては本番よりも圧倒的に有利な条件でやってるわけですから当てになる判定ではありません。

7浪目は正直、物凄く酷い状態を避ければほぼ確実に受かる状況でした。その物凄く酷い状態を避けるための工夫として、毎日朝起きたら新聞を読むことを日課としていました。夜に父が仕事から帰ってくるわけですが、父と気になったニュースの話をしていることで、父の方も「ちゃんと日課を続けていて、酷い状態にはなっていない」と認識することが出来ました。新聞で読み落としがあると、「少し勉強が雑になってるかもしれないから気を付けろ」と言われていました。その時は基本的に、計算ミスが多かったり、問題文の読み落としが多かったりしていました。私にとっては頭の切れが最も重要な要素だったので、父の助言には何度も助けられました。頭の切れを戻すきっかけをくれていたわけなので。

そんなわけで、センター試験の当日になったわけですが、化学60点、生物74点と思いっきり失敗してしまって合計で753.6点でした。失敗した理由としては、今までと傾向が異なっていたので焦ってしまい、問題文をちゃんと読めていない悪い方の私が出てしまったことです。

二次の方ですが、面接点抜きで600中454.5点でした。合計したら、1208.1点でした。しかし、面接で失敗してしまい、面接点があまり良くなく、不合格となってしまいました。そんなわけで8浪目に突入することになりました。尚、後期に出願した旭川医科大学も不合格となりました。

 

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