色々なことに当てはまると思いました
medu4の公衆衛生の講義動画でキュブラーロスの死の受容過程というものが出て来ました。これを見て、受験生が当初の志望校から志望校を下げていく過程と似たようなものがあると感じました。まず、キュブラーロスの死の受容過程を紹介します。
まず、初めの段階が否認というものです。これは「何かの間違いだ」と否定しようとすることです。次の段階は怒りというものです。これは「なんで自分がこんな思いをしないといけないんだ」等といった気持ちになることです。次の段階は取引というものです。これは神や仏にすがったりして死を回避しようとすることです。次の段階が抑うつです。これは死を避けられないことを悟ってかなしみに打ちひしがれることです。最後の段階が受容です。これは避けられない運命として穏やかに受け入れる段階です。
これは受験生が当初の第一志望を諦めて志望校を下げる過程に似てませんか?例えば、当初は東大(理Ⅲ以外)を志望していたと仮定します。当初の志望校を諦めるのを考え始めるのは夏休み明けの模試の間だと思います。最初の模試でE判定が出た時は「何かの間違いだ」「まだそのレベルまで達していないだけでこれからD判定、C判定、B判定、A判定と上がっていくはずだ」と「志望校に行けない」ということを否定すると思います。次の模試でD判定に上がれば「やっぱり上がっていく」と思って希望を持てますが、E判定のままの場合は「これだけ勉強したのになんでE判定なんだ」と怒りを感じることが多いでしょう。そしてその次の模試でもE判定のままだと「一日12時間以上勉強するから何とか合格するだけの力をください」と思うようになるかもしれません。これが取引の段階です。それでもダメなら「もう東大は駄目だ」と抑うつ気分になるかもしれません。次第に「志望校下げて北大とか九州大学にしよう」と穏やかに受け入れるようになるかもしれません。これが受容の段階です。
現役生でも浪人生でもこのようにして志望校を下げていくのだと私は感じます。個人的には学力が上がらないのは勉強方法が間違っている場合が多いと思いますけど。
追記

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